かわら版 No.1371 『78年前の総理大臣』
2023/08/07「八月や 六日九日 十五日」
偉大な俳人の名句ではありせん。カレンダーで日付を確認するような句ですが、日本人には心に沁みる鎮魂の一句です。俳句の世界では知られた句だそうですが、誰が最初に詠んだのかは定かではありません。詠み人知らずです。類似句が多数存在するため、詠み人多数ともいえます。
昭和20(1945)年8月6日は、広島に原子爆弾が投下された日です。9日には長崎にも原爆が投下されました。そして、15日は終戦の日。この3つの出来事を私たちは決して忘れてはなりません。そして、戦争の悲惨さと平和の尊さを、改めて深く心に刻まねばなりません。
亡国の危機にあった78年前、戦争終結に全精魂を傾けたのが第42代内閣総理大臣・鈴木貫太郎です。鈴木は千葉県関宿(現野田市)出身。初代・伊藤博文から現総理まで歴代総理は64人。千葉県出身者は鈴木と私だけです。史上最も困難な時代の舵取りを担ったのが、鈴木貫太郎でした。
鈴木は海軍での出世街道を昇りつめたあと、8年にわたり侍従長として昭和天皇をお支えします。しかし、陸軍の青年将校たちに天皇を誤らせる「君側(くんそく)の奸(かん)」と目され、昭和11(1936)年の「二・二六事件」で襲撃されます。
大腿、胸、こめかみなど致命的なところに4発の銃弾を受けます。海軍時代に何度も九死に一生を得てきた鈴木でしたが、今度こそは絶体絶命の窮地でした。血の海の中にいた鈴木を「とどめはやめてください」と、体を張って守ったのが妻の孝でした。その後の懸命な救命措置によって、鈴木は奇跡的に蘇生します。
一線を退いていた鈴木でしたが、極めて困難な戦況下の昭和20(1945)年4月、天皇から総理に就くよう懇請されます。「軍人は政治に関与すべからず」を信条としていたので当初は固辞していましたが、最後は老骨に鞭打って戦争を終わらせる覚悟を決めます。77歳の時でした。
8月15日の朝も暴徒の襲撃があったそうです。翌々日に総理を辞めます。在職日数は133日。終戦への道筋をつくることが彼の使命でした。その一瞬のために生かされた人生だったのかもしれません。
昭和23(1948)年4月、郷里の関宿で生涯を終えます。臨終の言葉は、「永遠の平和、永遠の平和」だったそうです。そして、荼毘(だび)に付された時、体内に残っていた銃弾が出てきたそうです。
千葉県の老宰相の願いに思いを致しながら、今年も8月15日に日本武道館で開催される「全国戦没者追悼式」に出席します。