詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1331 『国葬に参列しました』

2022/09/28

  安倍晋三元内閣総理大臣の「国葬」が、9月27日、日本武道館で執り行われました。国葬の賛否は反対が賛成を上回る中での出欠の判断は、踏み絵を踏まされている感じでした。私は、国葬決定のプロセスに強い疑問を持ちながらも、熟慮の上参列いたしました。


  7月12日に増上寺で行われた安倍家のご葬儀には、お伺いできませんでした。富山の父方の従弟の葬儀と重なったためです。安倍元総理とのお別れの機会は、改めて企画されるだろうと思っていました。


  ところが、元総理が凶弾に倒れた6日後の7月14日、岸田総理は記者会見で国葬を表明しました。22日には閣議決定しました。党内力学だけで拙速かつ独善的に決定したのは明らかです。


  国葬は天皇が崩御された時にのみ限る、というのが私の基本的な考えです。その他に国による葬儀が必要となった場合は、国権の最高機関である国会の関与が不可欠です。政府が恣意的に誰を国葬にするかを決めるべきではありません。


  加えて、国葬の閣議決定後の政府の説明も不十分でした。9月8日、岸田総理が閉会中審査に出席しましたが、国民の理解を得ようという熱意を感じられず、むしろ分断を助長してしまいました。


  一方で、国葬の案内状が国内外に送付され、私の手元にも届くに至りました。一連のプロセスに強い違和感を覚えながらも、もはやセレモニーの中止や延期は不可能となり、皇室や三権(立法、行政、司法)の長、海外の要人の参列も見込まれる状況となりました。出欠について難しい判断が迫られました。


  立憲民主党は9月15日、党運営を担う執行役員9人は欠席し、他の議員は自主判断にすると決めました。党として国葬反対の意志を明確にしながらも、各議員の故人との関係や人の死への向き合い方などに配慮した、新執行部の懐の深い対応でした。


  2012年12月26日夜、安倍内閣総理大臣の親任式が、皇居で執り行われました。天皇から勅語があったのち、前内閣総理大臣の私から官記を手交しました。敗軍の将にとっては辛い役割でしたが、第2次安倍政権の誕生に立ち会いました。


  新しい生命の誕生は心から祝い、故人とお別れする時は心から悼む、「礼に始まり礼に終わる」人生観でずっと生きてきました。安倍元総理は論敵というよりも仇のような政敵でしたが、その政権の誕生に立ち会った者として非業の最期に対して「安らかにお眠り下さい」と、弔意を示したいと思いました。


  日本の総理大臣は激務です。分刻みのスケジュール。国会開催中は答弁三昧。海外出張も多く、高速移動と時差で疲労が蓄積します。責任を伴う政治判断の連続は、重圧です。この日本一のハードワークを誰よりも長く続けられた安倍元総理に、前任の総理経験者として敬意を表したいとも思いました。


  以上のような考えの下、花を手向け頭を垂れてきました。けじめはつきました。今後は安倍長期政権を厳しく検証していくつもりです。


  

活動報告一覧へ戻る
HOMEへ戻るpagetop