かわら版 No.1330 『尖閣国有化10年』
2022/09/20野田佳彦内閣が尖閣諸島の内の3島(南小島、北小島、魚釣島)の所有権を、民間地権者から政府へと移転したのは2012年9月11日でした。いわゆる尖閣の国有化から10年になりました。改めて当時の決断の背景を秘話を含めて明らかにいたします。
発端は当時の石原慎太郎東京都知事が12年4月16日、訪米中に突然打ち上げた都による尖閣購入計画でした。都が募集した購入費を捻出する「寄付金」はみるみる膨らみました。私は都が尖閣を買い取り次々と形状変更などを行えば、日中関係に甚大な悪影響を及ぼすと危機感を覚えました。
12年5月18日、私は極秘に少人数の政府高官を総理官邸に集め、「領土保全は、そもそも国がやるべき仕事だ。国が都よりも先行して尖閣を購入できるか、検討を始めよう」と切り出しました。そして、長浜博行官房副長官を地権者担当に、長島昭久総理補佐官を東京都担当に決めました。「平穏かつ安定的な維持・管理」の観点から国有化する意義を、外務省が中国に伝える役割を担うことにしました。
当初は都が優位に交渉を進めていましたが、国と都との競合に地権者の心が次第に揺れ始めました。一進一退の攻防が続きましたが、大きく局面を変える契機となったのは私と知事との頂上会談でした。
12年8月19日(日曜)午後8時、私は総理公邸の一室に秘かに石原知事を招き入れました。都の尖閣購入を諦めてもらうためです。仲介してくれた園田博之衆院議員が立ち合い、約1時間半議論しました。
石原知事は「国が責任をもって実効支配を強めるなら、国有化してもいい」と、口火を切りました。一方で、「地権者は国には絶対売らないぞ」と、自信満々でした。そして、知事は船だまり(漁船の退避場所)をつくるよう強く求めてきました。
私は、船だまり案には明確に反対しました。中国、香港の漁船が嵐の時に避難して、人が上陸してそのまま居座る懸念があったからです。ただし、尖閣の生物調査や灯台の光源をLEDに変えることなどは検討すると約束しました。地権者との合意を得るまでの時間稼ぎをするためです。
会談の途中、石原知事は日中もし戦わばのシュミレーションに言及しました。私は「自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣です。東京都の行政権は及びません」と、発言を遮りました。絶対に国有化しなければと腹を決めた瞬間でした。
地権者との交渉を加速、ついに合意をとりつけました。最後の詰めは、国有化を知った都知事が大暴れしないように抑えることです。12年8月31日午後6時半、あるメディア界の重鎮を総理公邸にお招きして石原知事の説得をお願いしました。
具体的な検証はしていませんが、その後の石原知事の言動を考えると、間違いなく効果があったのだと確信しています。逆に効果があり過ぎて、野田・石原は水面下で結託していたのではないかと、中国を疑心暗鬼に陥りさせたかもしれません。