かわら版 No.1324 『合掌』
2022/08/01参院選投票日と同じ7月10日、財務大臣などを歴任した元衆議院議員の藤井裕久先生が、ご自宅でお亡くなりになりました。90歳でした。
藤井先生は大蔵省(現・財務省)に入省し官僚として21年勤めたあと、参院2期・衆院7期、35年も国政の場でご活躍されました。
政界を引退してからも「ご意見番」としてメッセージを発信し続けました。「公に尽くす」人生だったと思います。
先生との距離が一挙に縮まったのは、2004年の夏でした。参院選の応援に行った帰りに、偶然高知空港で一緒になりました。
「出発までまだ時間があるから、一杯やろうか」と先生。
「喜んでお付き合い致します」と私。
空港内のレストランでビールでも飲むのかと思っていたら、何と先生はご自身のカバンの中からワンカップのお酒を2つ取り出し、1つを私に「どうぞ」と差し出しました。そして、ご本人は銭湯で牛乳を飲むように腰に手を当てグビグビ飲み始めました。私だけがチビチビと飲むのがはばかられ、先生の勢いに押されてグビグビと呼応しました。
結局、短時間にカップ酒をたらふく飲みました。それ以来、師弟関係になりました。政治、経済、財政、歴史、人間観など一杯やりながらたくさんの事を教えていただきました。
2009年に政権交代を実現すると、藤井先生は財務大臣に就任されました。そして、私は財務副大臣に指名され、「チーム藤井」のメンバーとして大臣をお支えしました。
予算編成、税制改正、国際会議の出席など何でも実務をおまかせいただいたことは、私にとっては財務大臣や総理大臣へと飛躍するための助走となりました。
野田内閣では、「社会保障と税の一体改革」を党税調会長としてけん引されました。党内調整や野党との交渉で心が折れそうになると、必ず励ましにやってきました。
吉田茂は講和条約、鳩山一郎は日ソ国交回復、池田勇人は所得倍増、佐藤栄作は沖縄返還、田中角栄は日中国交回復を成し遂げたことを挙げ、「1内閣1仕事」のつもりでガンバレと。
4月半ば頃に会食した時は、よく食べよく飲んでいらっしゃいました。それだけにこのたびの急逝はショックです。政権交代可能な2大政党制が必要だという信念を常に持ち続けていた先生には、もっともっとご指導いただきたかったのですが…。
既にご家族による密葬は終わりましたが、改めて「お別れ会」を開催することになりました。8月10日(水)正午から、全日空ホテルで開かれます。責任者は私が務めます。生前のご指導に感謝の気持ちを込めて、少しでもご恩返ししたいと思います。