かわら版 No.1290 『親ガチャ』
2021/10/15「親ガチャ」という言葉がネットで話題になっています。
語源は、硬貨を入れてレバーを回すとカプセル入りおもちゃが出てくる「ガチャガチャ」。「子どもは親を選べない」不運を嘆く時、「親ガチャに外れた」などと表現するそうです。
軽やかでカラッとした響きですが、世の中に漂う諦めモードを象徴しているようにも思えます。私は、物悲しくて切ない或るエピソードを思い起こしてしまいました。
2013年1月、赤ちゃん取り違え事件をめぐる判決が大きな話題になりました。60年程前、都内の病院で同じ日に生まれた2人の男児が取り違えられた事件であり、病院側に賠償を命じた判決でした。
本来なら船橋の裕福な家庭の長男として生まれたはずのAさんは、生活保護を受けながら暮らす母親の下で、6畳1間のアパートで兄2人とともに育てられました。中学を卒業後、町工場に就職。働きながら定時制の工業高校を卒業しましたが、大学進学の夢は果たせませんでした。判決当時は、血のつながっていない兄の介護をしながらトラック運転手をしていました。
一方、Aさんの13分後に生まれたBさんは、何らかの理由で取り違えられ、経済的に恵まれた家庭で育ちます。子どもの頃から家庭教師がつき、私立高校を経て大学にも進学。後に生まれた弟たちと共に、既に亡くなった両親の遺産も相続し、現在も安定した人生を歩んでいるそうです。
この事件は、個人の運・不運で片づけてしまう問題でしょうか。豊かな家庭で育てば学ぶ機会にも恵まれ、豊かな人生を送れる。片や極貧家庭に生まれれば、学ぶチャンスを奪われ辛苦の一生を送る。これが厳しい現実なのでしょう。
子どもは親を選べません。ならば、どんな家庭に生まれようと、子どもの育ちや学びを社会がしっかりと後押しをして、機会の均等を実現していかねばなりません。だから、かつて民主党は、子ども手当や高校授業料の無償化を実現しました。当時はバラマキと批判した自民党も、最近では酷似した政策を主張するようになりました。
家族が担っていた介護を社会全体が担っていこうと、介護保険制度が創設されたのは2000年でした。介護の社会化は一定程度進みました。そして、今は子育てや教育を社会で支援する施策を一層積極的に推進していく時です。
今般の戦いにおいても、児童手当や教育の無償化、給付型奨学金の拡充などを強く訴えていく決意です。子どもや若者の可能性の芽を摘むような国に未来はありません。「親ガチャ」という言葉を死語にしたいものです。そして、「この国に生まれて良かった」と思える「国ガチャに当たった」と言える日本にする決意です。