かわら版 No.1117 『陰の主役』
2018/02/05平昌(ピョンチャン)冬季五輪が、2月9日から始まります。空前のメダル獲得ラッシュが期待される日本選手団ですが、選手たちを支えているのは意外にも中小企業や個人であることをご存知でしょうか。
冬季五輪に出場する選手の所属先は、かつては有名な大企業ばかりでした。1972年の札幌五輪のスキージャンプで金の笠谷幸生はニッカ、ジャンプ団体で1994年のリレハンメルで銀、1998年の長野で金の原田雅彦は雪印。1992年アルベールビルの女子スピードスケート1500m銅の橋本聖子と、1998年長野で女子500m銅の岡崎朋美は富士急。アイスホッケーといえば、王子製紙や西武鉄道がすぐに思い浮かびます。
私が異変に気づいたのは、2010年バンクーバー五輪の時でした。3人が隊列を組んで、空気抵抗が大きい先頭を交代しながら2400mを滑るスピードスケート「女子団体パシュート」で、日本が銀メダルを獲得しました。そのメダリスト3人のうち2人が、富山の「ダイチ」という従業員40人規模の会社のスケート部に所属していました。何で地方の中小企業がスケート部をもっているのか、強い興味をもった私はすぐに田中・ダイチ社長と対談させていただきました。
同社は地すべり対策を専門とする会社で、仕事の大半が公共事業であり、選手を広告塔のように使う必要は全くありません。スケートに打ち込みたいけれどその環境がなく、苦しんでいる選手を放っておけないという気持ちからスケート部を創設したそうです。しかも、会長・社長の給料をカットしながらスケート部を続けてきました。
年齢的にピークを越えたと思われていた田畑真紀選手は、富士急をやめて監督と2人で自分たちの貯金を切り詰めて、どこにも所属せずに頑張っていました。その苦境を見かねて、「うちの会社は贅沢はさせてやれない。それでもいいんだったら来るか?」といって、田畑選手と監督を引き取ったそうです。田畑はパシュートのエース格として大活躍しました。
ダイチ所属以外のもう1人の銀メダリストが、小平奈緒選手でした。小平選手は大学卒業時、内定していた企業への入社が白紙となり、選手生命の危機に陥りました。知人からの相談を受けて見も知らぬ女子大生を救ったのは、長野県松本市の相澤病院でした。彼女はバンクーバーから帰国後、メダルを持って病院を回り、患者やその家族を励ましたそうです。
平昌大会では、小平選手はスピードスケート500mと1000mの金メダル候補です。ジャンプのレジェンド・葛西紀明選手は創業して約10年の土屋ホームという中堅企業所属です。メダル獲得の偉業は、小さな会社や個人によって支えられています。
日本の企業の99%は中小企業です。働いている人の7割は中小に勤務しています。そして、中小企業は日本経済のみならず、スポーツ振興も支えています。この中小企業が元気になることが、元気な日本をつくることにつながります。アベノミクスに決定的に欠けている視点です。