かわら版 No.1099 『ミスター政治改革』
2017/09/04ミスターといえば、男性名の前に付けて使われる英語の敬称です。各界の代表的人物の尊称として使用されることもあります。まっ先に思い浮かぶのはプロ野球界です。「ミスタージャイアンツ」といえば長嶋茂雄、「ミスター赤ヘル」といえば山本浩二です。
政界にもミスターと呼ばれる人がいます。現役では同僚の長妻昭衆議院議員。消えた年金問題で勇名を轟かせ、「ミスター年金」と言われるようになりました。
自民党総務会長や震災対策担当大臣などを歴任した小里貞利元衆議院議員は、昨年暮れに逝去されましたが、国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり、「ミスター新幹線」の異名を取っていました。
8月28日、またもや政界のミスターが天上の人となりました。「ミスター政治改革」と呼ばれた羽田孜元首相です。省エネルックの推進に熱心でしたので、半袖ジャケット姿を覚えている人も多いのではないでしょうか。
羽田氏は自民党に所属していた時代から、中選挙区制を廃止し小選挙区制を導入することに積極的でした。国会から地元の長野県上田市に戻る電車内で、選挙区のライバルである井出正一氏(自民→新党さきがけ)、堀込征雄氏(日本社会党→民主党)らと、政治改革実現にむけての道筋について議論していたそうです。個利個略、党利党略とは全く無縁の誠実なお人柄でした。
1994年4月、細川護熙首相が電撃的に辞意を表明した後の首班指名選挙で、羽田氏が第80代内閣総理大臣に就任しました。当時衆院1年生であった私も、1票を投じました。
同年6月、野党自民党が羽田内閣不信任決議案を提出しました。決議案の成立が不可避な情勢の中、選択肢は2つ。解散総選挙か内閣総辞職です。究極のたらればですが、もし総選挙を実施したなら、非自民勢力が勝っていたでしょう。そして、自民党は空中分解していたかもしれません。
しかし、羽田首相は内閣総辞職を選択しました。細川政権の下で悲願の政治改革法は成立していましたが、選挙区割りはまだできていませんでした。総選挙になると従来の中選挙区制で選挙をせざるをえなくなります。せっかく成立した新選挙制度をいったん停止する形になってしまい、政治改革に逆行すると判断したのでしょう。
その結果、首相在任期間はわずか64日間。戦後2番めの短命政権になってしまいました。政権の延命よりも政治改革の前進を優先したからです。「ミスター政治改革」らしい政治決断でした。
羽田元首相が生涯を捧げた「政権交代可能な政治」は、残念ながらまだ道半ばです。その原因は、選挙制度というルールよりも、プレイヤーである政党(特に野党第1党)の未熟さにあると思います。羽田元首相の志を引き継ぐという意味からも、9月1日に選ばれた前原新代表の責任は重大です。しっかりとサポートしていく決意です。