かわら版 No.1051 『東京五輪にむけて』
2016/08/29南米で初めて開催されたリオデジャネイロ五輪が閉幕しました。日本選手団が過去最高のメダルを獲得するなど、大変見応えのある大会でした。福原愛さんを中心とする「卓球3姉妹」の奮闘には、親戚のおじさんみたいに感情移入して声援を送ってしまいました。
そして、いよいよ次の東京に向けて、カウントダウンが始まりました。改めて、2020年に東京でオリンピック・パラリンピックを開催する意義を、私なりに整理してみたいと思います。
まずは、復興のアピールの場であるということです。幻に終わった1940年の東京五輪は、1923年に発生した関東大震災からの復興を世界に示す意味もあったと思います。しかし、開戦により中止となりました。1964年の東京五輪は、戦災から復興し高度経済成長を遂げた日本を鮮烈に国際社会にPRする舞台になりました。次の五輪は、東日本大震災という困難から見事に立ち直った姿を、堂々と披露する場にしたいものです。そのためには、道半ばである被災地の復興に力を尽くすことを忘れてはなりません。
次に、何よりも重要なのは五輪に託す理想です。多くの人は、新国立競技場をはじめとする施設の充実やそれに伴うインフラ整備を重視します。さらに多くの人は、獲得メダル数及びそれに直結する競技力の向上に強い関心をもっています。まさに、「国威発揚」という観点です。否定はしません。大事な観点です。でも、私は、治安の良さやおもてなしの心など「国徳発揚」の観点も忘れてはならないと思います。
50余年前の五輪開催に際し、デザイン部門に横尾忠則、石津謙介などジャンルを超えて多彩な若き奇才が集結しました。そのコラボレーションの中から生まれた斬新なアイデアが、絵文字(ピクトグラム)の開発でした。トイレの案内板は、文字による表記ではなく男女の人形を図案化したもの。食堂は、大きな皿にナイフとフォークの絵文字。更衣室にはハンガーを、一時預り所にはボストンバッグと鍵が描かれました。迷子預り所には、泣いている女の子のシルエットが採用されました。
絵文字は、いまや見慣れた光景です。日本だけではなく、世界中で目にすることができます。その制作は、日本語が世界の標準語でないというハンディキャップを克服するための窮余の策として生まれたのでした。それは、究極のおもてなしの心ではないでしょうか。
2020年に向けて、ハード面の環境整備のみならず、ソフト面においても時代を画するような新しい発想が創出されることを強く期待したいと思います。