総理大臣に就任する前、私は約1年3か月財務大臣を務めました。千葉県出身者としては、高度経済成長の時代に長く大蔵大臣を務めた水田三樹男氏以来の2人目でした。水田蔵相の頃は毎年税収もふえ続け、その分配にやり甲斐を感じることができたでしょう。私が財務相に就いたのは、折しも、リーマン・ショックの影響により税収が9兆円も落ち込み、敗戦直後の昭和21年以来となる税収よりも国債発行額が上回る危機的財政状況の時でした。
このような巡り合わせの中で、国・地方の基礎的財政収支(プライマリー・バランス)の赤字を対GDP比で2015年度までに半減、2020年度までに黒字化することを目標とする「財政運営戦略」をまとめました。世界一の借金大国でありながら、それまでの自民党政権下では無責任にも中期的な財政健全化計画がつくられていなかったのです。ただし、日本の計画は、他国の財政計画に比べるとテンポの遅いものでした。なぜならば、他国の財政赤字はリーマン・ショック後に急増しましたが、わが国の場合は少子高齢化という構造的な要因があったからです。
欧州債務危機に直面していた当時、国際会議の主要議題はいつも成長と財政再建の両立でした。世界一の債務残高を有するわが国が、財政規律に無関心であることは到底許されません。ですから、機会あるごとに日本の取り組みを丁寧に国際社会に説明しました。
中でも、忘れられないのは2010年6月末のG20トロント・サミットでした。会議終了後に発表されるコミュニケづくりに苦労したからです。交渉過程の最終案における日本についての記載は、次のようなものでした。
「先進国は、2013年までに少なくとも赤字を半減させ、2016年までに政府債務の対GDP比を安定化又は低下させる財政計画にコミットした。日本の特有の状況を認識し、我々は、成長戦略とともに最近発表された日本政府の財政健全化計画を歓迎する。」
日本が特出しで扱われること自体がマイナスでしたが、事前交渉で結びの言葉に「歓迎する」、英語では「ウェルカム」(welcome)という言葉を入れることに成功し、負のイメージを消すことができました。さらに、私は、「特有の」という表現もはずすように粘り強く交渉しました。英語の「ユニーク」(unique)に違和感があったからです。最後は、議長国カナダのフラハティ財務相(残念ながら今年お亡くなりになりました)に直接掛け合い、確定版では「特有の」を除くことができました。
このように、借金大国・日本にサーチライトが当たらないように、神経を使いながら国際交渉を行ってきた経験があります。その危機感から、政治生命を賭けて「社会保障と税の一体改革」を実現しました。社会保障の充実・安定化を図り、将来世代に過度な借金を押しつけないためにも、法律通り粛々と進めることが基本だと思います。