かわら版 No.1360 『「千葉4区」と「千葉14区」』
2023/05/16ご報告とご挨拶
県議の頃から船橋市全域でお育て頂き、当選を重ねることができました。ところが、次の総選挙から船橋市がまっ2つに分かれます。人口約32万人の船橋市西部と約16万人の市川市北部で構成されるのが「千葉4区」。同じく人口約32万人の船橋市東部と約17万人の習志野市からなる「千葉14区」です。
自分はどちらの選挙区を選択するか、もう1つの選挙区は誰に託すか、悶絶しながら考え抜いてきました。ライバル自民党の動きなども含めて総合的に勘案した結果、次のように政治判断しました。
「千葉4区」には32歳の新人「水沼ひでゆき」君を擁立します。12歳の頃から、私の政治信条を真摯に学び続けてきた若者です。私は世襲には反対ですが、自分の志は次世代に引き継ぎたいと願っていました。だから、水沼君を抜てきしました。
先行する自民党元職に追いつくために、野田たけひこ県議はもちろん、同志の市議団の皆さんの総力を結集します。そして、追い抜きます。
「千葉14区」では、私が自民の有力新人を迎え討ちます。維新などの党からも出馬の動きもあり、油断は禁物です。私にとっては政治生命に関わる大きな危機ですが、「危機」とは「危険」と「機会(チャンス)」が隣り合わせです。水沼君としっかりタッグを組んで、小選挙区で2勝するよう頑張ります。
ご理解のほど心よりお願い申し上げます。 野田よしひこ
私の決意
皆様、初めまして。私は「水沼ひでゆき」と申します。船橋生まれ船橋育ちの32歳です。
私の政治の原体験は、2003年、国会見学の時でした。小学校6年生当時の私は「政治家は汚くて悪い大人だ。困らせてやろう」と思い、野田さんに意地悪な質問をしました。ところが、選挙権を持たない子供に、真剣かつ丁寧にお答え頂き、衝撃を受けました。
以来20年間、野田さんの背を追いかけ続けてきました。同じ大学に進学し、事務所のお手伝いも始めました。野田さんは総理大臣になり、私は学生団体の代表となりました。充実した日々でした。
2012年12月、野田政権退陣。失意の中で就活が始まりました。選んだのは損害保険会社。理由は、保険自体が「生きる・暮らすという共通のニーズを支える仕組み」であったからです。連帯によって将来不安を解消する営みに、再チャレンジ可能な社会の希望を見出しました。
此の度、野田さんから国政挑戦のご要請を頂き、身の引き締まる思いでお引き受け致しました。私も「政権交代可能な2大政党制をもう1度作り、政治に緊張感をもたらしたい」と考えています。野田さんの隣で今と未来への責任を果たすために、これから船橋と市川の様々な場所で、私の想いを皆様にお伝えして参る所存です。
皆様のご指導を心よりお願い申し上げます。 水沼ひでゆき