かわら版 No.1342 『歴史に学ぶ』
2022/12/19NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わりました。三谷幸喜ワールドにすっかりはまり毎週楽しみにしていましたので、年の瀬に大きな喪失感にかられています。
ところで、源頼朝の妻は「源政子」ではなく、「北条政子」であることを奇異に感じた人はいるのでしょうか。違和感なく受け止めていたと思います。室町時代の足利義政の妻は日野富子でした。いずれも、夫婦別姓です。
夫婦同姓が制度化されたのは、長い歴史から見るとつい最近、明治31(1898)年に明治民法が施行されてからのことです。しかも、夫婦が同姓を名乗るよう法律で義務づけている国は、今や世界で日本だけといわれています。
夫婦同姓は日本古来からの伝統ではないことを、改めて鎌倉殿を通じて学べました。希望すれば夫婦が別の姓を選択することのできる「選択的夫婦別姓制度」の導入を、来年こそは強く求めていきたいと思います。
来年1月から始まる大河ドラマ「どうする家康」も、とても楽しみです。というのも、山岡荘八が18年もかけて書き継いだ大著「徳川家康」を、昨年読破したからです。長引くコロナ禍が未踏に挑む契機となりました。夜の会食が減り、本を読む時間が増えたからです。
昨年2月から読み始め、毎晩寝る前に数十ページずつ読み続け、やっと9月に読了しました。枚数にして400字詰め原稿用紙で17,400枚。文庫本にして26巻。読み応えはたっぷりでした。
織田信長の「剛毅」と豊臣秀吉の「智謀」を兼ね備えている上に、家康には「堪忍」がありました。その生涯は忍耐で貫かれ、その政治は決して急激なものではありませんでした。じっくりと腰を据えて八方を睨みながら漸進主義に終始しました。それこそが約260年も続く泰平の世を切り拓いたのだと思います。
家康は徳川家家訓の1つとして、「堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え」と遺しています。家康の辛抱強い性格を表していると思っていましたが、山岡の小説を読んで、「堪忍」が半端でないことを改めて知りました。
動乱期に弱小松平家に生まれ、幼くして母との離別。そして今川家への人質。父の非業の死。さらには不幸な結婚。嫡子を切腹させ、正妻を斬る決断も余儀なくされます。
これほどまでに過酷な運命に耐えることができないと、乱世を終わらせ平和を創る天命に辿り着けなかったのか。山岡荘八が存命ならば、問い質したかったことです。大河ドラマで反芻しようと思います。
内閣総理大臣に就任する前に読んでおくべきだったと、今更ながらつくづく思います。「剛毅」「智謀」そして「堪忍」、いずれもが私には欠けていることを自覚しつつも…。