詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1333 『追悼演説を前に』

2022/10/17

  安倍晋三元内閣総理大臣は1993年7月、第40回衆議院議員総選挙で初当選を果たされました。私も当選同期の1人です。ただし、「政治家一族」と呼ぶべき家に生を受け、生まれながらにして「公」を「背負う」ことが運命づけられていた安倍氏と、徒手空拳で這い上がってきた私の生い立ちは対照的でした。


  思想信条や政治的な立場を同じくするものでもありませんでした。5月にご逝去されたJR東海の葛西敬之さんが同社の会長時代に、「あなたたちはウマが合うかもしれない」と会食をセットしたことがありました。しかし、特に会話が弾むこともなく、それ以降はほとんど安倍氏との接点はありませんでした。


  本格的に相対したのは2012年11月、自民党総裁に返り咲いた安倍氏と、当時の内閣総理大臣であった私との党首討論でした。与党と野党第一党、党首同士が互いの持てるものを賭けた、火花散る真剣勝負でした。


  私は、定数削減と議員歳費の削減を条件に衆議院を解散します。そして、敗軍の将となり、安倍氏に政権を引き渡すことになりました。以降は攻守を代えて、内閣総理大臣に復帰した安倍氏と、本会議や予算委員会でがっぷり四つで組み合って激論を交わしました。


  これが私と安倍氏の関係です。それ以上でもそれ以下でもありません。衆議院で行われる安倍氏への追悼演説の人選が迷走し、私の名前が浮かんだり消えたりしていましたが、ずっと困惑していました。長期政権が誕生するきっかけとなった因縁がある上に、その最期にも立ち会う運命になるとは…。安倍氏にスポットライトを当てるための政治人生です。「かませ犬」みたいです。


  安倍氏に7年8か月、官房長官として仕えた菅義偉前総理は、「総理、あなたの判断はいつも正しかった」と、国葬で弔辞を読みました。7年8か月もの間、「前内閣総理大臣」と呼ばれ続けた私は、もっと複雑な立場です。菅氏ほど豊富なエピソードもありません。


  ところが、10月7日、首相経験者の追悼演説は野党第1党の党首級が行う慣例に沿って、私に正式な依頼がありました。「ご遺族の意向、自民党の総意だ。第2次安倍政権が誕生する直前の首相で、重圧と孤独を経験された野田氏が最もふさわしいと考えている」との事でした。


  立憲民主党の泉代表、岡田幹事長、安住国対委員長とも協議した上で、「誠に荷の重い話ではあるが、謹んでお引き受けさせていただく」と、お答えしました。


  松井孝治慶大教授は、「激しい論戦をしていても根底には相手への敬意がある。死は究極のノーサイド。死が論敵と自らを分かつときにはその旅立ちにエールを送る。それが議会制民主主義の根幹であり、追悼演説はそれを体現した美風であるはずです」と、述べています。全く同感です。


  最短で10月25日(火)午後1時から行われるでしょう。所要15~20分。今週は言葉を練りに練り仕上げにかかります。


  

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