かわら版 No.1033 『民進党』
2016/03/2293年、私は日本新党から立候補し衆議院議員に初当選しました。しかし、96年、日本新党等が合流した新進党から再選をめざしましたが、105票差で落選。
民主党結党のときは、私は浪人中でした。97年に新進党が解党してからは、無所属で活動していました。政党の消滅は経験しましたが自ら離党したことはなかった私は、所属政党の選択は慎重でした。そして、熟慮の末、「終(つい)のすみか」として民主党に入党しました。お蔭様で、00年に国政復帰して以来は、連続当選を果たすことができました。
広報委員長、国民運動委員長、幹事長代理等の党務を歴任しました。国会対策委員長に就任したのは当選2回めの時でした。まだまだ国会全体のルールも知らないひよっこが、やりながら覚えるという感じでした。民主党は、入団即戦力として公式戦に出して、その選手を鍛える党風でした。失敗もしましたが、いい経験を積ませてもらえました。
09年、悲願の政権交代を実現した後、財務大臣、内閣総理大臣に就くこともできました。が、3年3か月で下野し、なかなか党勢を回復できない厳しい状況が続いています。そして、一強多弱の政治は、自民党のゆるみとおごりを生み出す元凶となっています。
緊張感のある政治を実現させるためには、野党のより大きな固まりを創る必要があると考え、民主党は維新の党との合流を検討・協議してきました。そして、「自由」「共生」「未来への責任」を理念とする、国民とともに進む「民進党」を結党することになりました。綱領や規約づくりも大詰めの段階にあり、27日に新党結党大会が開催されます。
実を言うと私は、他党との合流には極めて慎重な立場でした。絆の強い筋肉質な党をつくる自力再生をめざしていました。民(たみ)が主(あるじ)という党名には、愛着と誇りがありました。民主の旗の下で、幾星霜も風雪に耐えてきたからです。
しかし、新党結党が決まった以上は、その方針に従います。民進党という党名も百万回唱えていけば、やがて愛着も生まれるでしょう。民主党の最大の武器は、人材の多様性でした。逆に、最大の弱点は、決まったことに従わない政治文化でした。今こそ、そのバラバラ感というマイナスイメージを払拭しなければなりません。特に、元リーダーのフォロワーシップの欠如は深刻でした。だから、私は、岡田克也代表を率先してサポートします。
冷たく厳しい逆風が吹く中にもかかわらず、長らく民主党をご支持いただいてきた全ての皆々様に、万感の思いを込めて心より感謝申し上げます。そして、その感謝の思いを胸に秘めながら、民進党の下でよりバージョンアップした政治活動に取り組んでいくことを改めてご報告させていただきます。何卒、ご理解を賜りますよう心よりお願い申し上げます。