かわら版 No.1011 『香川前次官』
2015/10/139月30日、香川俊介・前財務次官の「お別れの会」が青山葬儀所で執り行われ、私も故人のご冥福を心からお祈り申し上げながら、献花してきました。参列者は約1500人。政官民、その他の分野を問わず、多くの皆様との交流の広さと人間関係の深さを垣間見る思いがしました。
初めて香川氏と出会ったのは、約10年前。松下政経塾の1期後輩である神蔵孝之・イマジニア㈱代表取締役会長兼CEOが主宰する福沢諭吉の「文明論之概略」の輪読会でした。少人数の勉強会だったので一気に親しくなり、以後酒を酌み交わしながら談論風発する仲になりました。
09年の政権交代により財務副大臣に就いた私は、奇しくも彼と一緒に仕事をすることになります。私が初めて政府を代表して日銀金融政策決定会合に出席する前日、当時の香川総括審議官が訪ねてきました。細かく発言要領などをチェックしにきたのかと思いきや、彼の助言は意外でした。
「食事抜きの長時間の議論になるかもしれません。だから休憩の際は、遠慮なくビスケットやクッキーをバクバク喰って腹ごしらえして下さい」
翌日、彼のアドバイスが的確であったことを体感しました。
私が財務大臣として予算編成や税制改正で苦闘した折には、香川氏は官房長として献身的に支えてくれました。相手の懐に入って本音をぶつける突破力、窮地に陥ってもブレない胆力、誰に対しても分けへだてのない温かい包容力にどれだけ助けられたでしょうか。
2011年9月、内閣総理大臣に就任した私は、官僚を排除することにより政策決定の混乱や停滞を招いていた誤った「政治主導」を変えようとしました。国難とも言える時期に、政治主導か官僚主導かとイニシアチブ争いをするのではなく、政と官が一緒のチームとして力を合わせるべきだと考えたからです。
それは、香川俊介という人物に魅せられたからかもしれません。そして、香川氏のような強い志を抱いた一群の官僚たちの存在を知ったことが大きかったと思います。
私たちは「将来世代に借金のつけ回しをしていては国が滅びる」との思いを共有し、社会保障と税の一体改革に挑みました。私は政治生命を賭けました。香川官房長は命を削って与野党間、各府省間を奔走しました。そして、関連法案が成立した12年8月、忽然と彼の姿が消えました。過酷な仕事が健康をむしばんだのでしょう。食道癌で長期入院でした。
翌春には公務復帰され、主計局長、事務次官と歩まれました。しかし、今春から再び病魔との戦いになりました。退官の日まで見事に職務を全うされ、退職辞令が出たその日にそのまま入院し、約1か月後に帰らぬ人となりました。
享年58歳。本当に惜しい人を亡くしました。
合掌