かわら版 No.1005 『文系廃止でいいのか?』
2015/08/24下村博文文部科学大臣が6月8日、全国の国立大学法人に対し、人文社会科学や教員養成の学部・大学院の縮小や統廃合を求める通知を出しました。「社会的要請の高い分野」への転換を図るためです。
そもそも国立大学改革は、政府の産業競争力会議における議論が出発点になっています。即ち、社会的要請の高い分野への転換とは、産業界の要請を踏まえ稼ぐ力に直結した理系分野に教育資源を集中させることです。しかし、特定の社会の要請かもしれませんが、果たして広範な国民の要請でしょうか。少なくとも、私立文系出身の私には、全く理解できません。
社会も産業も大きく変わりつつあるいま、国立大学も変わらなければならないことは間違いありません。頑迷に象牙の塔にこもり、現実社会の変化に鈍感な大学では困ります。しかし、だからといって、文系は不要で実学の理系を重視するという方向づけは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。
およそ半世紀近く前、京都大学で教鞭をとっていた会田雄次先生が、当時の卒業生に向けて語った言葉が思い出されます。「君たちは戦後教育の中で、人の道(倫理)、生命にむき合うこと(信仰)、そして歴史の3つを学んでいない。その君たちが将来リーダーになる時代が心配だ」。
現代は当時以上に、様々な分野において生命倫理や歴史観という視座が大切な時代になっているのではないでしょうか。科学技術も然りです。国立大学は各種学校とは違います。即戦力の人材養成も必要でしょうが、長い時間を経て役に立つ人文社会の知見も軽視してはなりません。実学と教養を二者択一で迫るのではなく、そのバランスをとる教育改革が必要です。
国立大学改革もやはり安倍政権のカラーが色濃く出ています。即ち、人間に目が向いていません。成長力を見ていますが、国民生活を見ていません。労働力を見ていますが、働く人を見ていません。すぐに役立つ学力は見ていますが、学生を見ていません。国力増強に結びつく力しか見ようとせず、経済政策も雇用も教育も、人間に目が向いていません。