詳細 | かわら版 | 衆議院議員 野田 よしひこ

かわら版 No.1000 『即動と完遂』

2015/07/13

  先日、東日本大震災が発災した時の陸上自衛隊の最高責任者であった火箱芳文・元陸上幕僚長の講演を聞きました。火箱元陸幕長については習志野駐屯地司令兼第一空挺団長だった頃から存じ上げており、かねてより腹の据わった幹部自衛官だと思っていました。改めて講演を聞き、彼の信念と決断に感服しました。


  阪神・淡路大震災の際、自衛隊の初動は遅れました。自衛隊の災害派遣は「都道府県知事の要請に基づき防衛大臣が命令する」(自衛隊法第38条)ことになっており、その手続きが遅れたからです。その結果、自衛隊による生存救出は165人に留まりました。警察は3,495人、消防が1,387人だったのに比べると明らかに見劣りします。


  3月11日、東日本大震災発災。火箱氏は過去の苦い教訓や「生存可能性が高い72時間」を強く意識し、防衛上残存させなければならない部隊を除いて、全国の陸自各方面部隊を被災地に向かわせます。クビを覚悟の瞬時の決断だったそうです。空自、海自も加わり、電光石火の史上最大の作戦となりました。生存救出の結果は、警察が3,749人、消防も4,614人と各々奮闘しましたが、自衛隊は19,286人と、全生存救出の7割近くを占める圧倒的な役割を果たしました。


  4年前、多くの尊い命が奪われました。一方、多くの命が救われました。その指揮を見事に務めた火箱元陸幕長やその任にあたった隊員たちに心から敬意を表します。火箱氏はその貴重な記録を著した「即動必遂」(マネジメント社)を出版しました。是非ご高覧ください。


  人命救助、行方不明者の捜索、応急復旧等における自衛隊の即動は高い評価を得ています。しかし、被災地の復興はまだ途半ばです。その復興の完遂は政治の役割です。先月末に福島県の被災地をお訪ねしましたが、今月5日、6日は宮城県の被災地を視察しました。


  南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼びかけ続けた遠藤未希さん。防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも最後まで呼びかけをやめなかった彼女は、津波にのまれ、帰らぬ人となりました。その防災庁舎を残すかどうかで町内の意見はまっ二つに分かれましたが、暫くは宮城県が保有するようになったそうです。庁舎前にお線香をお供えしてきました。


  全校108名中、74名の児童が死亡あるいは行方不明となった石巻市立大川小学校も残すかどうかの岐路に立っています。悲しみを忘れたいという気持ちも、忘れてはならないという気持ちも痛いほどよく判ります。どちらが間違っているとはとても言えません。記念碑の前で合掌するしか何もできませんでした。


  物理的復興には全力を尽くします。しかし、心の襞(ひだ)に関わる問題は、地元が結論を出すまで寄り添うしかありません。

活動報告一覧へ戻る
HOMEへ戻るpagetop