かわら版 No.987 『歴史探訪』
2015/03/09政治家になるための最も必要な要件は、腕力よりもフットワークです。「ビールは喉ごし」ですが、「政治家は足腰」です。しかし、国会開会中はどうしても足を使う機会がめっきり減ってしまいます。
そこで、先日、会議の合い間を縫って国会周辺の散策にチャレンジしました。永田町から赤坂見附を経て青山方面へと歩いている途中、高橋是清翁記念公園で一服しました。
第20代内閣総理大臣の高橋是清は、宰相としてよりも6度も大蔵大臣を務めた不世出の財政家として評価されています。日露戦争の戦費調達、関東大震災からの復興、昭和金融恐慌の鎮静化、世界恐慌後のデフレ脱却など、危機のたびその手腕を発揮しました。高橋の激動の生涯を振り返っていた時、もう1人の熱い政治家の名前が脳裏をよぎり、その男のお墓を探しに青山霊園まで足を延ばしました。
霊園内をしばらく探索していると、第27代内閣総理大臣・濱口雄幸の墓を発見できました。困難な時代に国のトップとなり金解禁や緊縮政策を断行し、ロンドン海軍軍縮条約を結んだ「ライオン宰相」の生涯に思いを致しながら、墓前で手を合わせました。
さて、帰路に就こうとふと隣を見ると、井上家の墓がありました。これには鳥肌が立つような感動を覚えました。濱口首相を大蔵大臣として補佐し、金解禁や緊縮政策に尽力した井上準之助が横で眠っていたのです。もちろん、こちらもお参りさせていただきました。
濱口は1930年東京駅で銃撃され、翌年死去しました。井上は1932年、血盟団事件により暗殺されました。そして、高橋も1936年、二・二六事件の凶弾に倒れました。国を想い、家族を愛し、友を信じて、困難を乗り越えるためにすべてを捧げた男たちでした。
今の日本経済や財政を、彼らならどう見るのでしょうか。久しぶりに背筋がピーンと真っ直ぐに伸びたような気がしました。