内閣総理大臣は、自衛隊の最高指揮官です。その自衛隊の活動は、常にリスクを伴います。最近頻度が増えてきた災害派遣は、2次災害の危険に晒されています。国連平和維持活動(PKO)も、派遣先の治安情勢をよく調べて対応しなければなりません。自衛官の倅(せがれ)として育って私は、とりわけ、自衛隊の動かし方については細心の注意を払ったつもりです。
2011年12月、私は、世界で1番新しい国として独立した南スーダンに、国際平和協力の観点から陸上自衛隊施設部隊などを派遣することを決めました。同国の平和と安定は、アフリカ全体にとって重要であり、かつ国際社会で対応すべき重要な課題でした。そこで、わが国の自衛隊がこれまでのPKOにおいて実績を積み重ね、国連からも強い要請があったインフラ整備面での人的な協力を行うことで、南スーダンの国づくりに貢献できると考えたからです。もちろん、数度にわたる現地調査をしっかり踏まえての政治判断でした。
真逆の決断も下しました。2012年12月21日、ゴラン高原から日本のPKO部隊を撤収させることを安全保障会議を経て、閣議決定しました。わが国は、1996年2月以降、国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に要員を派遣(撤収直前は輸送部隊44名及び司令部要員3名)してきました。約17年間にわたり続けてきた国際平和協力活動でしたが、ゴラン高原を含むシリアの情勢が悪化し、自衛隊員の安全を確保しつつ、意義のある活動を行うことが困難と考えたからです。
2012年12月14日の総選挙で敗れ、同年12月26日に安倍さんに総理の座を引き渡すまでの間に行った、私の最後の重たい政治決断でした。翌年1月に撤収作業が完了し、全員が無事帰国することができました。
その後、現地のシリアでは内戦が激化し、昨年3月と5月にUNDOFの要員が武装勢力に拘束されました。先月末からシリア政府軍と武装勢力の戦闘が激しさを増し、8月28日には、フィジーの隊員43人が武装勢力に拘束されました。30日には、フィリピン部隊の拠点が襲撃され、同部隊は全員退避しました。
いま、シリアの治安は著しく悪化し、ゴラン高原は重大な危機を迎えています。もし、自衛隊の撤収が遅れ、拘束をされるような事態が発生したら、その解放は困難をきわめたでしょう。人命にかかわるようなもっと深刻な事態も起こりえたでしょう。そう考えると、背筋が寒くなります。政権末期に行ったギリギリの政治決断でしたが、正しい時期に正しい判断をしたと自負しています。
昨今、「行け、行け、どんどん」的な勇ましい議論ばかりが目立ちますが、国のリーダーの役割は、起こるかもしれない危機の予防、予知、回避あるいは被害の軽減を図る「危機の事前対策」を冷静に行うことです。