かわら版 No.947 『拉致問題について』
2014/04/14私の背広の左胸には、常に議員バッジとブルーリボンが付いています。拉致問題を片時も忘れないためです。内閣総理大臣は拉致問題対策本部の本部長です。その責任ある立場を経験した以上、当然のことだと思っています。
私が総理に就任したのは2011年9月2日。その3か月後の12月19日、北朝鮮は金正日総書記の死亡を発表しました。私は北朝鮮が新体制に移行する機会を捉えて、拉致問題の進展を目指しました。
2008年8月、自民党の福田康夫政権の時に日朝実務者協議が行われ、拉致問題の再調査を合意しました。しかし、9月1日に福田総理が辞任し、調査委員会の立ち上げは見合わせることになりました。その後、麻生政権下では進展なく、民主党政権誕生後もルートは維持しつつも、進展はありませんでした。せめて、福田政権下で一度は合意した拉致問題の再調査を実現することが、私がまずやるべきことだと思っていました。
まずは、1945年前後に北朝鮮で死亡した日本人の遺骨返還やご遺族による墓参について、日朝赤十字交渉がスタートしました。その交渉から政府間交渉にもっていくシナリオでした。そして、2012年8月末の日朝間の課長級協議を経て、11月にはついに局長級協議を実現することができました。さらに、2回目の局長級協議を12月4、5日にセットしました。
もし、この2回目の局長級協議が開かれていたら、拉致問題の再調査を含む複数の項目で合意に達する可能性が大でした。しかし、北朝鮮のミサイル発射実験で協議に入れず、総選挙で敗れた私は12月26日に退陣し、時間切れになってしまいました。
自分なりのグランドデザインで戦略的に進めてきた拉致問題解決に向けての取り組みが、あと一歩のところまできていただけに誠に残念でした。私の在任期間中で最も悔いの残る課題となってしまいました。
しかし、本年3月30、31両日に約1年4か月ぶりに日朝局長級協議が開かれ、実務的な非公式の協議も続いているようです。北朝鮮による歩み寄りの姿勢が示されている時こそ、拉致再調査を何とか実現したいところです。ただし、一筋縄ではいかない国ですので、予断は許されません。